1,500年の歴史をもつ和紙業界に革新をもたらしたアイデアとは?
/ 和紙ソムリエ 杉原吉直
斬新なアイデア・ひらめきをきっかけに、イノベーションを起こした人たちにフォーカスするインタビュー企画。今回ご紹介するのは、福井県越前市で創業147年を数える老舗和紙問屋、杉原商店の10代目、杉原吉直。

革のような質感と色味のお札入れ、柔らかい光がともる照明器具、ツヤのある漆黒に彩られた器……これらはすべて和紙でできている。
杉原は、自らを「和紙ソムリエ」「和紙キュレーター」と称し、越前和紙をはじめとしたさまざまな和紙の普及に努めている。和紙職人ではなく、問屋としての視点を武器に、現代のライフスタイルに合わせたオリジナル和紙の開発に加え、和紙業界でいち早くアート、インテリアとしての和紙の需要に着目し、国内外の展示会に出展。これまでに、フランクフルトやリヨン、ミラノ、ロンドンなど、国内外のインテリア展示会に出展し、斬新な和紙作品の数々は受賞歴も多数。2018年2月には、自社の敷地内にあった築100年の蔵を改築して和紙ギャラリーをオープンさせた。
約1,500年もの長い歴史をもつ越前和紙。その「紙の里」に生まれた杉原は、老舗和紙問屋の10代目という歴史を背負いながらも、伝統的な和紙製造・工芸の世界にとどまることなく、自由な発想で現代のライフスタイルになじんだ新たな和紙の楽しみ方を提案し続けている。
果たして、その柔軟かつ自由なアイデアはどこから生み出されるのか。杉原のひらめきの源泉に迫る。
後を継ごうと決心した時期に、
和紙業界の苦境に直面

歴史を感じさせる佇(たたず)まいの和紙問屋、杉原商店。本社機能をもつこの建物と同じ敷地内に、蔵を改築したギャラリー兼ショップがある。
杉原が生まれた福井県の今立地区は、越前和紙の一大生産地だ。和紙の産地は全国に存在するが、越前和紙は約1,500年もの非常に長い歴史を有しており、紙漉き(かみすき)の神様である紙祖神(しそじん)を全国で唯一祭っているという、突出した特徴をもつ。越前和紙の「越前奉書」と「鳥の子紙」は国の重要無形文化財に指定されているが、ひとつの産地で2件の文化財指定を得ているのも越前和紙だけだ。
そうした「和紙の里」に生まれた杉原は、自身だけでなく周囲にも、和紙関連の仕事に従事する家庭が多かったという。そんななかで9代続く和紙問屋に生まれたとあれば、幼い頃から「和紙問屋の10代目」というレールが敷かれていたも同然だ。
「そんな状況でしたけど、決められた人生に乗るのはイヤで、大学の頃も後を継ぎたいとは思っていませんでした。それでも実家に戻ったのは『誰かに雇われるサラリーマン人生よりは、自分の好きなことができるだろう』という消極的な理由から。和紙自体はもちろん好きでしたが、すごく強い思い入れがあるというわけでもなかったんです」
杉原が実家の「杉原商店」に入社した1988年、和紙業界は苦境を迎える。それまでは、高度経済成長に伴う公団住宅の建設ラッシュで、越前和紙が得意とする襖紙の需要も増える一方だったが、その活況が終えんし、ライフスタイルも急速に洋風化して襖や障子の需要が激減。また、インターネットやPCの登場により、問屋を通さないメーカー直販の流れも起こりつつあった。
「これだけ生活が変化すると、いくら良質な襖紙を作ったところで、そこに張り付いていては業績がV字回復することはありえない。価格競争をせずに生き残るためには、オリジナル商品の開発や和紙の新規需要を開拓するほかないと、まざまざと感じました」
新たな和紙アイテムは
「自分がほしいもの」という
身近な発想から生まれた
だからといって、頭をひねったところで突如、妙案が浮かぶわけでもない。そこで、杉原は「自分がほしいもの」に着目する。その頃、世の中ではPCと同時に家庭用プリンターも普及し始めていた。
「インクジェット対応の和紙があったら、便せんや封筒、名刺などいろいろ印刷できるのに……」
そう考えた杉原は、オリジナル和紙の開発に乗り出す。まずは紙表面の強度を上げて紙粉を抑え、さらに、インクジェットプリントに対応できるよう和紙をにじみ止め液に浸して両面を乾燥。こうして、1993年、インクジェットやレーザープリンターでの印字、コピーも可能な和紙「羽二重紙(はぶたえし)」が登場。当時、和紙では厚みのバリエーションが少なかったが、5種類をそろえ、さまざまな用途に対応できるようにした。

プリンターやコピー機での使用が可能な和紙「羽二重紙」。和紙の原料のひとつである植物の楮(コウゾ)を使用。漉き合わせという技術を用いて、裏表の色合いや表情に変化をつけている。
「紙だけじゃなく、縁まで和紙らしい雰囲気を残した名刺があったらいいなあ……」
そう考え、和紙ならではの風合いを出すことができる、漉かし(すかし)技法で紙の枠を仕上げることで、折り目をつければ簡単に手でちぎって切り離すことができる「ちぎって名刺」を開発。1998年に発表すると、TVの情報番組などでも取り上げられ、全国から問い合わせが殺到した。
手でちぎることができ、縁まで和紙の風合いを生かした和紙のシート「ちぎって」シリーズ。名刺のほか、丸形や動物、花などさまざまなバリエーションが揃う。
「この地域の伝統工芸のひとつ、越前漆器の漆を和紙に塗ってみたらどうなるのか……」
実際に試してみると、使い込んだ革のような、重厚で味わい深い表情が生まれた。防水性も耐久性も格段に向上したが、紙ならではの軽さ、扱いやすさはそのまま。これを「漆和紙(うるわし)」と名付けて商品化すると、2001年、デザインに優れた県内の製造販売商品に贈られる「DESIGN WAVE FUKUI」の大賞を受賞する。

和紙の優しい風合いと漆の強度が備わった「漆和紙」で作ったマネーカードホルダー。紙とは思えない触り心地で、革のような風合い。
こうして並べると、新スタイルの和紙はすぐさま世の中に受け入れられたかのように見えるが、道のりはそう簡単ではなかった。
「従来の取引先である紙屋で『羽二重紙』を見せると、非常に面白がってくれました。でも、今までの和紙と違いすぎて、紙屋自身も売り先がわからない。そうすると、扱ってはもらえないんです。仕方ないので、自分で東急ハンズなどの小売店に営業をかけて、置いてもらえるようになりました。
ところが、小売店に卸すということは、原寸での納品ではなく、A4などの使いやすいサイズにカットするなどといった完全なパッケージ化が必要になります。ここまでやっても、どんなに『いいものですね』と評価されても、実際に売れない限り、お金は生み出さない。従来の取引を続けながら、こうしたオリジナル商品の開発や営業ルートの開拓をするのはとても大変でした」
もちろん、オリジナル商品の開発にはコストもかかるし、在庫も抱えることになるため、思いついたからといってすぐさま実現できるわけではない。さらに、紙業界には「紙問屋の名前を全面的に表に出してはいけない」という暗黙の商習慣が存在していた。
現在、封筒や便せん、ポストカードやステーショナリーなど、オリジナル商品のアイテム数も増加。ギャラリー・ショップにズラリと並べられている。

「今までどおりのことをやっていてはダメだ」という危機感は募る一方だったが、できることは限られている。そんななかで杉原がヒントを得たのは、「こういうのがあれば自分でも使いたい」という自身の実感だった。
身軽さと実直さが、
新たな業界との
縁を
たぐり寄せるきっかけに
長年の歴史をもつ伝統工芸だからと気負いすぎることのない、杉原のほどよい身軽さと地に足のついた実直さは、人と人との奇妙な縁をもたぐり寄せる。2002年、和紙業界ではいち早く、インテリアのプロと企業をつなぐ国際展示会「IPEC」(INTERIOR PRO EX CO)へ出展したのも、地元で開催されたクラフト展での出会いがきっかけだった。
「クラフト展で審査員を務めたある著名なデザイン・コンサルタントの方から『今、建築やインテリア業界で和紙が注目されているから、IPECに出展しなさい。それがあなたの仕事です』と言われたんです。当時の社長だった父にも相談したのですが、『話はよくわからないけど、どうも悪い人ではなさそうだ』と(笑)」
そこで、奨励賞を受賞するという、うれしいサプライズを授かったものの、そのとき、和紙業界でIPECに出展していたのは杉原ただひとり。せっかくの授賞式でも所在なくしていたところ、見知らぬ男性に声をかけられる。
「『テーブルを回って、名刺を配ってきなさい。地元に戻ったら、その方々に手書きでお礼状を書きなさい』と、アドバイスというか指導を受けまして(笑)。とりあえず言われた通りにしたんですが、特別なことも起こらず、半年が過ぎました。すると、その男性から電話があり、『まだ仕事につながっていないなら、私も同行するので、その人たちにアポを取りなさい』と言われたんです。
ひとまず言われた通りにして上京すると、本当に同行してくれてまたも顔をつないでくれたんです。そうしたら、『和紙をインテリア装飾に使いたい』など、徐々に問い合わせが入るようになっていきました」
和紙のサンプル帳と展示。見本だけでも、数百種類におよぶ。
ちなみに、「IPEC」の授賞式で交換した名刺は約200枚。200枚もの礼状を手書きするのは、相当な手間を要する。素性もわからない男性の提案に、なぜ素直に従ったのか。
「だって、手書きの和紙のお礼状を出すと、次に会ったときにも必ず覚えられていますから。このとき以来、名刺交換した方には、必ず手書きでごあいさつ状をお送りしています。返事はほぼありませんし、よくてもメールの返信だけ。でも、それでいいんです。再会すると『あの和紙屋さんね。返事してなくてごめんなさいね』と会話が始まりますから。1枚62円でこれだけ営業効果があるのなら、手書きの手間なんて全然たいしたことじゃないですよ。(笑)」
あっけらかんとした言葉からもわかるとおり、杉原の行動力の機敏さはずばぬけている。いいと思ったことは、それが初対面の人物の提案であっても、素直かつ速やかに実行する。変に身構えたり、面倒くさいなどと感じる間もなく、すでに行動に移している。気持ちいいほど身軽なのだ。
取材中も、質問に答えながらも、すすっと動いて自慢のコーヒーを入れてくれた。
奇妙な縁で深く結びついた
外国人デザイナー、
ヨルグ・ゲスナーとの出会い
「IPEC」で知り合ったインテリアプランナーに誘われ、2004年にフランスのインテリア国際展示会「サロン・ドュ・ムーブル・ド・パリ」に行ったときも、「日本のいいものをフランスに紹介しようと意気込んでいったのですが、真剣に営業活動をしていたのは僕だけでした(笑)。よく考えたら、プランナーがフランスで仕事を受けても実現性という点で厳しいところがあるので、みなさん出展することが目的だったようで……。積極的に営業してもあまり意味がないんだと、後でわかったんですが、そのときは『あれ? おかしいな……』と(笑)」
しかし、杉原の行動力がなせる海外への出展は、のちの重要な出会いへとつながっていく。
「ある日、外国人から『今、杉原商店の最寄りの武生駅にいて困っているから、とりあえずそちらに行っていいか』と電話があったんです。まったく訳がわからないまま話を聞いてみると、フランスの展示会で知り合ったパリのセレクトショップのマダムから、『困ったときは杉原を訪ねなさい』と言われたそうです。僕もそのマダムは知っていますが、外国人が訪ねてくることは聞いていない(笑)。さらに話を聞くと、彼はドイツ出身のデザイナーで、和紙やイサム・ノグチの研究をするために来日したことがわかったんです」
その外国人デザイナー、ヨルグ・ゲスナーは、予定していた滞在先が手違いにより急きょ、受け入れ不可になったため、杉原の元を訪ねてきたのだった。結局、杉原は初対面の外国人をそのまま2週間ほど滞在させる。
それが縁で、2008年に行われた世界最大級の国際見本市「フランクフルト・アンビエンテ」への出展時は、ヨルグに現地通訳を依頼。和紙の理解者として、表面的な美しさだけでなく、技術や奥深い背景などについても正しく伝えることに貢献してくれた。さらには、ヨルグに「漆和紙」を使ったステーショナリーのデザインを依頼し、2010年に発表するなど、深い交流をするまでに至った。
ヨルグ・ゲスナーのデザインによるステーショナリーは、書類フォルダからペンケース、メモパッドまでさまざま。
杉原は、海外に出展して得たことは、こうした「絆の深まり」だと話す。
「海外に出展したからといって、すぐ営業に結びつくほど甘いものじゃないです。きれいだと手に取ってはくれますが、和紙の深みや奥深さまではわかってもらえない。こちらとしても説明できるほどの語学力はないですしね。ただ、国内でつながった人との縁や絆が、海外に出たことで、さらに深まったとは思いますし、海外出展があったからヨルグ君とも出会えたと思っています」
先祖代々に伝わる蔵を
ギャラリーに
改築してまで
実現したいこととは
機敏な行動力によって人との縁をキャッチする。そして、彼らとのコミュニケーションを通じて、和紙の世界における新たな試みを形にしていく。今年2月に、杉原商店の敷地内に開設した和紙ギャラリーもまた、人の縁から開設が実現した。
「使っていない蔵をギャラリーにしたいという構想は数年前からありましたが、なかなか思い切ることができずにいました。でも、福井出身の空間デザイナー、水谷壮市さんとたまたまつながって、水谷さんもちょうど福井を訪れる機会が増えるという時期だった。今しかないと、蔵のリノベーションをお願いすることにしました」

敷地内にある、大正時代に建てられた蔵を和紙ギャラリーに改築。
足を踏み入れると、天井からかけられた美しい和紙のタペストリーが出迎えてくれる。その大きさ、繊細な漉かし模様など、すべてが圧倒される迫力だ。ヨルグ・ゲスナーがデザインしたステーショナリーのほか、人間国宝の越前和紙職人、九代目岩野市兵衛が手がけたブックカバーや奉書紙(ほうしょし)も展示されていて、すべて購入も可能だ。
ギャラリー内観。後方につるされた巨大な和紙タペストリーが、美しい光と影を織りなす。
和紙アイテムはもちろん、ここでしか見られない数々の美しい和紙サンプルも必見。

凹凸だけで文字を表した「0色刷り」の名刺。越前和紙の高い技術と杉原のアイデア力の結晶といえる。
本来、蔵は人が立ち入る場所ではない。先祖代々に伝わる蔵をギャラリーに改築するということもあり、「父にも話して許可を得ましたが、実際に工事が始まるといい顔はしませんでした。でも、いざギャラリーが完成してみると、たびたび顔を出して中をのぞくのも父なんですよね(笑)」と杉原。
伝統という名の殻にこもることなく、時には周囲の反発を感じながらも、常に新しいことにチャレンジしていく杉原の狙いは何なのか。
「やはり、越前和紙の良さをもっと広めたいですね。インテリアやアートとしての和紙も提案しているので、ギャラリーの広いスペースで見ていただくことで、より素晴らしさが伝わると思います。ただ、国内外の観光客や取引先の方だけでなく、地元の人にも気軽に来ていただきたいんです。そうして、いろんな人が集まって、和紙の情報が生まれる場所にしていきたいですね」
水の流れのような模様が美しい和紙について、製法や用途を熱く語る杉原。こちらは和紙を重ね合わせることで立体感を楽しめる作品となっている。
どうしても和紙というと、人間国宝が作る手漉きの越前和紙にだけ目を向けられがちな状況ではある。
「木材パルプ配合の和紙にも、機械漉きの和紙にもそれぞれに長所があるし、そうした紙が最適な場合もあります。求められる用途にベストな和紙を提案することで、和紙のある生活の楽しさを伝えたい。だから、自分でも『和紙ソムリエ』という肩書がぴったりだと思っています」
人懐っこい笑顔で物腰も柔らかく取材に応じていた杉原。最後に、伝統を次世代へ伝えることへの思いを聞くと、表情が引き締まり、こう答えた。
「現代的なライフスタイルに合わせた越前和紙の良さを広めるのは、自分にしかできない仕事だと思っています」
そして、また優しい笑顔に戻り、こう続けた。
「特に、和紙業界以外の人と会うようになって、『自分がやらなきゃ。自分にしかできない』と思うようになりました。思い込みの力ってすごいですね(笑)」
老舗和紙問屋の10代目。ともすれば、伝統という重荷に依存しかねない環境ながらも、フラットな視点で和紙と向き合い、和紙の次世代を切り拓く取り組みを続けている。今後も、機敏な行動力と柔軟な思考で人の輪や絆を新たに広げ、越前和紙のさらなる可能性を発見していくことだろう。
株式会社杉原商店 代表取締役
杉原吉直
すぎはら・よしなお/1962年、福井県生まれ。大学卒業後、東京の老舗和紙問屋で経験を積み、1988年、実家でもある株式会社杉原商店に入社。以後、インクジェットプリンター対応和紙「羽二重紙」、和紙に漆を塗った「漆和紙(うるわし)」など新スタイルの和紙を開発、発表。2002年、インテリア見本市「IPEC」に出展し、奨励賞を受賞。ヨーロッパの国際展示会への出展やセミナー、講演活動も手がけ、国内外へ「WASHI」の素晴らしさを伝える。
text:FRISK JOURNAL
photo:中田昌孝(STUH)