FRISK JOURNAL

2018.01.31 Wed

世界初の影生体認証を生み出した、
驚きのフットワークと発想の転換力とは?/NASA研究員 岩下友美

 

斬新なアイデア・ひらめきをきっかけにイノベーションを起こした人たちにフォーカスするインタビュー企画。今回ご紹介するのは、NASAジェット推進研究所研究員の岩下友美。

世界初の影生体認証を生み出した、驚きのフットワークと発想の転換力とは?/NASA研究員 岩下友美

ATMの静脈認証や、スマートフォンおよびタブレットでの指紋認証など、私たちの生活のなかに、急速に増えつつある「生体認証」。その一種である「影生体認証」は、人影で特定の人物を見分けるというもので、近年、徐々に注目が高まりつつある。偵察用の航空機などから見える影を利用して人間の歩幅と歩くリズムを読み取ることで、頭と肩しか見えない上空からでも人物の識別を可能にしたからだ。

実は、世界で初めてこの研究を発表したのは、現在NASAに勤務する研究者、岩下友美。彼女のたぐいまれなる発想力は、いったいどのように生まれてきたのだろうか。

「オンリーワンであり、
ナンバーワン
になれる研究分野」を求めて

電気関係のエンジニアである父のもとで育った岩下は、最初から影生体認証の研究を選択したわけではない。九州大学の電気情報工学科に進学した岩下が興味をもったのは、「ロボット」だった。

「オンリーワンであり、ナンバーワンになれる研究分野」を求めて

「カメラなどのセンサーを用いてロボットの『目』を作る『ロボットビジョン』を研究し、博士課程では複数台のカメラを人間の周りに配置して、リアルタイムで人間の形状を3次元で復元するというようなテーマで博士号を取りました。こうした人間の視線が何をどう捉えているかの計測や、それを3次元で復元するという研究は非常に面白く、ずっと続けたかったのですが、

人生の恩師でもある指導教員に『将来につながらず、生計を立てることは難しいだろうから、研究テーマを変えたほうがいい』とずばり言われてしまったんです」

そんななか、岩下は日本学術振興会の特別研究員に選ばれ、2007年にイギリスの「インペリアル・カレッジ・ロンドン」に半年間、留学できることになった。しかし、心中では「『これからはなにを研究しよう……』と迷っていた」という。

だが、結果として、イギリスで出会った指導教員に「歩容認証(ほようにんしょう)研究が面白いよ」と言われたことが、影生体認証研究への大きな第一歩となった。

歩容認証とは、生体情報の一種である歩き方と容姿から人を認証するというものだ。顔認証や指紋認証と比べ、人間に負担をかけることなく非接触で個人認証ができるという優位性がある。

「1990年代後半から徐々に話題にはなっていましたが、私がロンドンにいた2007年当時は、まだあまり有名ではありませんでした。生体認証というと、やはり顔認証などがメジャーで、歩容認証はマイナー分野だったんです。でも、それが決め手でした。人がたくさんいる分野で戦うより、『オンリーワンであり、将来はそこでナンバーワンになれる道』を進むほうがいいですから。その頃、人間が受け取る画像や音声といった情報をコンピュータで実現する手法や応用技術を研究するパターン認識について興味を持ち始めていたこともあって、歩容認証はちょうどいいと軽いノリで飛び込みました(笑)」

ロボットビジョンと歩容認証。“人に関する研究”かつ“認識する仕組みを構築する”という点は共通するが、研究のベクトルはかなり異なる。それでもやってみようと思ったのは、「今はマイナーでも、歩容認証研究はこの先ホットな分野になるという予感があったから」だという。

研究者にとって、長年の研究テーマを変えるのは容易なことではないだろう。その分野で一定の評価を得ているならなおさらだ。しかし、岩下は過去に執着しすぎることなく、自身が興味を持ち、将来性もあると感じたテーマに向かって素直かつ貪欲に飛び込んだ。影生体認証の研究も、こうした柔軟な姿勢から生まれたものだ。

上空から個人が特定できる世界初の
影生体認証。その実用性とは?

影生体認証は、事前にターゲットとなる人物が歩く姿を記録しておくと、その人物を上空からカメラで写した際に影で個人を特定できるという技術。今は「精度を上げることが課題」と話す。

2008年、九州大学大学院で助教授として研鑽を積んでいた岩下は、歩容認証の研究成果をある国際会議で発表。その休憩時間に、Google Earthの画像を眺めていたところ、人の形のように見えるものを発見する。

「よくよく見ると人影でした。そこで、近くにいたNASAの研究員と『影で人を認識することができるんじゃないか』『それなら歩容認証が使える』と話が盛り上がり、共同で影生体認証の研究を行うことになったんです」

理系の学会では、発表だけではなく、こうしたコーヒータイムの「ロビートーク」も重要といわれている。次のプロジェクトにつながる話が出ることがよくあるからだ。

たまたま出会ったNASAの研究員と岩下による影生体認証の共同研究は、Skypeなどを通じて順調に進み、ついに成果を挙げる。その仕組みは、あらかじめコンピュータに個人の影パターンを登録しておき、そこにカメラが写した人影を照合することで、データベースに登録された人物かどうかがわかるというものだ。

従来の歩容認証では難しかった上空からの個人認証が可能になるため、広範囲にわたって観察できるというメリットがある。2018年1月の現時点では、警察などの限定された機関ではあるが、防犯や徘徊・行方不明・犯罪者の捜索などでの導入が徐々に検討され始めている。

「現段階では、影が重なったり、太陽の高さや方向によって影の具合が異なると精度が下がるため、人の手による処理も必要で自動識別までは追いついていませんが、環境を固定化すると、3~4年ほどで実用化できるかもしれません」

たとえば、ひとりずつしか通れない入場ゲートを作り、影が映る環境を固定化して認識しやすいようにすると、大きなイベントなどにおける防犯対策になる。ほかにも、個人認証だけでなく不審な行動の検出にも応用可能なので、実際に「セキュリティ関係の企業からの引き合いもある」という。

影生体認証の研究を通して、
夢だった
「宇宙に関わる仕事」を実現

影生体認証の研究を通して、夢だった「宇宙に関わる仕事」を実現

2011年に、憧れだったNASAで客員研究員として勤務していた頃。彼女の前に置かれているのは、歴代の火星探査機の車輪。

そして、影生体認証の研究は、岩下のもうひとつの夢を実現させた。岩下は、高校生のときに若田光一宇宙飛行士が宇宙へ行くというニュースを見て、宇宙に関わる仕事への憧れを抱いていたのだ。2011年、日本学術振興会の海外特別研究員という制度を利用して、岩下はNASAの客員研究員となる。

「実は宇宙の研究をしたくなったというよりも、すでに共同研究の実績があったNASAなら優れた研究機関という意味でも日本学術振興会の審査に通りやすいと思った現実的な部分が大きいです。ただ、NASAはコンピュータビジョンなどのロボティクスについても世界ナンバーワンの技術を持っているので、歩容認証や影生体認証はもちろん、そのほかのことも学べるのはとても魅力的でした。まぁ、あとはやっぱり『NASAはかっこいいよね』というところですかね(笑)」

そう言って、無邪気に笑う岩下。とりあえず、高校生のときから憧れていたNASAをのぞいてみたいという気持ちはあったものの、渡米当初はNASAに就職する気はまったくなかった。

「九州も九州大学も大好きで、それこそ骨を埋める覚悟でいましたから。でもNASAに行ってみたら、右を見ても左を見ても知識の王者、スーパースターだらけで、とにかくレベルが高い。大学で研究をしていても、いろいろ学ぶことはできますが、どちらかというと学生の指導などアウトプットが多くなります。NASAでは、自分が吸収できる。いわば自分のレベルがどんどん上がっていく感覚ですね。その刺激を受けているうちに、『またここの場所に来たい』と思うようになり、滞在中にNASAの採用面接を受けました」

結果は「保留」。理由は「永住権がないから」だ。そこでグリーンカード取得の手続きをして、2013年に帰国。在職していた九州大学では准教授に昇格した。しばらくして、永住権が取れたという連絡が届く。

「もう採用はないだろうと思いつつも、NASAにグリーンカードが取得できたことを連絡したら『いつから働ける?』というメールの返信があり、あとは自分の決断次第という状態になりました。九州大学のことが大好きで、恩義もあったので、いろいろな方にとことん相談して、意見や話を聞いて半年ほど悩みましたが、自分のレベルが上がっていく“あの感覚をもう一度味わいたい”という思いは揺らがなかったので、最終的にNASAを選んだんです」

舞台は、火星や土星! ダイナミックな
NASAでの研究内容とは?

 

2018年1月にNASAのジェット推進研究所研究員として、火星探査機のテスト走行を行っているところ。

2016年4月から、岩下はNASAのジェット推進研究所研究員として勤務している。そこでの研究内容はさまざまだが、主に携わっているのは、未来のミッションで使える“かもしれない”研究開発だ。

「今の火星探査機は、1日に進める走行距離が限られています。距離を伸ばすためには、大きな問題となっている『砂にはまって動けなくなる』という課題を克服しなければいけません。火星では砂が脅威なんですね。なので、砂や岩などといった土壌の種類を検知するために、コンピュータビジョンの技術を使う研究をしています。

また、木星の衛星エウロパは、表面は分厚い氷で覆われていますが、その下に海があることがわかっているため、その海中を探索するかもしれない探査機の目を作る研究もしています。海中探査といっても、氷の厚さが10~30kmにもおよぶので、それを突破してからの話にはなりますが、夢は果てしないですね」

理系の専門知識がなくても興奮してしまうような、なんともダイナミックな研究内容だ。しかも、「影生体認証の研究も同時並行で続けている」という。

「私にとって、研究は趣味のようなもので、1日中でも、1週間研究しっぱなしでも苦にならないんです。研究しない日があると、そわそわしてしまうくらい(笑)。なので、平日はNASAのプロジェクトの仕事、週末は歩容認証や影生体情報の研究をやっています」

壁は「壁」ではなく、「新たな発見」

 

影生体認証のテストをするために、カメラを設置しているところ。このような高所から捉えた影の映像などから、個人を識別できるようテストを重ねている。

世界初の画期的研究ということだけに満足したり、立ち止まったりはしない。なにかをトリガーにして、どんどん研究テーマが派生していくのが岩下流の思考だ。「やりたいことを思いついたら、うれしくなってすぐにメモを取ります」と話す。そんな根っからの研究好きな岩下には、行き詰まるということはないのだろうか。

「もちろん、実験や研究が思ったとおりに進まないこともありますが、そこで壁にぶつかったとは思いません。『新たな問題を発見できてよかった』とプラス思考で考えるようにしています。そもそも、永遠な壁なんてないですし、必ずどこかに道はあるはずですから。

あとは、焦っても仕方がないと思って、どっしり構えるようにしています。タイミングを待てばいいんです。必ず正しいタイミングが訪れるはずなので。逃げていくものは、自分と縁がなかったのだろうと考えて、思考を切り替えるようにしています」

機敏なフットワークと
思考を切り替える能力がひらめきの源泉

パートナーであり、同じくNASAで研究員として勤務しているアドリアン・ストイカさんと。お互いの研究についてアドバイスすることも多いそう。

実は、NASAで勤務し始めてからの1年、岩下はプロポーザル(企画書)が書けなかった。

「自分がスロースターターであることは自覚していたので、『今は我慢のときだ』と言い聞かせて、じっくり周りを観察して将来のミッションにつながりそうなことを拾っていました。さすがにこの時期は辛かったですが、ピンときても使えないアイデアがたくさんあるのはしょうがない。それに即したストーリーができなければ、プロポーザルは書けないので諦めます。だからといって、必要以上に落ち込むこともなく、次へと切り替えるようにしていました」

そんな岩下の様子を、周りは「猪突猛進」と呼ぶ。取材に同席したパートナーのアドリアン・ストイカさんも、研究者としての岩下を「クリエイティブで野心もあり、非常に優秀」と評する。

パートナーの言葉に照れ笑いしながらも、彼女は自身のことをこう語った。

「決断は早いほうだと思います。結局、どの研究者も考えることは似ているので、発想が早い順からオンリーワンになれる。学生時代から、明確にオンリーワンの研究者になりたいと思っていたので、スピード感は大切にしています。そして、頑固ですね。周りから『こうしたほうがいいよ』と言われても、自分の直感を信じて突き進むタイプ(笑)」

興味が湧いたことには、迅速に素直に飛び込む。視点や思考の柔軟な切り替え方やその早さが、世界初の影生体認証や壮大な宇宙計画の研究を支えているのだろう。「壁は新しい発見」と言う岩下の目は、「落ち込む時間があったら研究をしたい!」とポジティブな好奇心であふれている。発想の転換ひとつで、自身の能力やひらめきを引き出す―、それが岩下のスタイルなのだ。

NASAジェット推進研究所研究員
岩下友美

いわした・ゆみ/1979年、鹿児島県生まれ。2007年に九州大学大学院システム情報科学府博士課程修了。同年、九州大学大学院助教。2011年にNASAジェット推進研究所協力研究員として2年間、アメリカに滞在。帰国後、2014年に九州大学大学院准教授に。2016年よりNASAジェット推進研究所研究員としてNASAに勤務しながら、九州大学大学院客員准教授も兼務している。

text:FRISK JOURNAL
photo:有坂政晴(STUH)